実家へ、、、再び [2011.3.11]
私の実家は茨城県常陸大宮市です。
2011年3月11日の震災で地割れが起こり今は市営住宅に避難しています。
まだいろいろな事が十分ではありませんが1ヶ月だけ無料だという市営住宅で何とか暮らしています。
父は瓦をおろしていた屋根にトタンをはったりして、、、実家へ帰りたいと思っている様です。
今は屋根も終わり田んぼの準備をしています。
市営住宅へ避難してから行っていなかったのでいってみることにしました。
市営住宅にはまだテレビや電子レンジなど運んでいないものも多いので荷物を少し取りに実家へ、、、
いつも車を止める場所の地割れも前回より少し開いている様でした。
この上の段に実家が立っています。
下の道路も地割れがあって、一応通行止めになっているのですが、住んでいる人は通っています。
他に道路がありませんから、、、
4月18日
家までの道も、、、広がっているというか、、、下がってきている様です。
これは、、、3月22日に撮った写真です。
4月18日
4月18日
ぽっかりと空洞です、、、下の地面が下がっていて見えませんー!
4月18日
地滑り防止の工事をした壁も広がってる?
これが、3月22日です。
家は屋根を直し終わりましたが、、、
地割れがそこら中にあるのでブルーシートで覆われています。
3月19日の写真、こんな感じで割れている箇所がいっぱいです。
で、、、手前に映っているのは地滑りを調べるセンサー?です。
高台に立っているので、、、下の道路側に全体的に下がってきています、、、
家の段から下を見ると、、、こんな感じです。
実家に近いおばさんの家に避難している祖母も一緒に荷物を取りに行きました。
やっぱり祖母にはこの道はきつそうです。
自分たちのこれから使いそうな服や、食器、電子レンジなど、と祖母のベットを運びました。
次の日の雨はだいぶ降ったようで、、、それでどうなったのか?聞いていませんが、、、
梅雨になったり、台風が来たり、、、余震もあるし、これからのことはまだ読めない感じです。
父は実家に戻りたいのであんまり荷物を運びたくなかったようですが、、、少しずつ運んで安全な所に家財道具などを少しでもおいて置いて欲しいです。
余震は福島や北茨城が多いし、原発も関係ないほど遠くもないし、、、心配は心配ですが、、、
私は私の家族(子どもたち)を守りつつ、、、実家に関わっていければと思います。
実家近くには弟2人と、妹もいるので、、、ね。