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フクシマフィフティーと9年 [日記]


みなさんお久しぶりです。


この前主人が見たがっていたので「フクシマフィフティー」を一緒に観に行ってきました。


あの頃、実家も大変だったり、もちろん他にはもっと大変な所もあって、、、


わたし的にはその後もいろいろあったりしたので、思い出したくないって言う気持ちもあったりして、半分見たくない映画でした、




見てみて、最前線で誠実に頑張って戦っていた人が居たこと、


それを信じて耐えて待っていた家族が居たこと、


それぞれが必死だったのだけれど、見ている方向が違っていたひとが居たこと、


本当はもっとひどい事になっていてもおかしくなかったこと、


きっと9年たった今でも、気持ちがあの頃のままでいる人もいるのだろうと思ったこと、


それが、わたしの感想です。



こんな時期なので空いてる時間に、席を離してもらって、マスクをして、観ました、






話は変わりますが、、、


2015年1月6日に90歳になっていた祖母が亡くなりました、自殺です、


なぜだろ、なんでだろ、どうしてたらよかったのだろう、いろいろ何年も思いましたし、後で知ったこともたくさんあって、、、



わたしがいろいろ考えて、、、こうだったのかな、って思うのは、、、


2011年に震災にあって、実家が危なかったので、父母妹は市営住宅に避難したのですが、祖母は娘(叔母)たちの家に少し避難しました、娘たちももちろん被害を受けているので、迷惑にならないように気を使っていたと思います、

何人も娘が居るので3ヶ所くらい、移動したと思います、


何ヶ月か経って実家に戻りましたが、周りのおしゃべり相手になってた同年代の人たちは娘や息子が住んでいる所に引き取られていて、、、近所に話し相手が居なくなっていました、


花を育てたり畑仕事をしたり、山菜や竹の子きのこを採るのが好きだったのですが、山や道や畑が崩れたりして自由に行けなくなっていました、


自分の身体もだんだん不自由になってきていて、、、迷惑をかけたくないと思ってもいたようです、


父(祖母からすると息子)は家を治したり自分でしていましたが、無力感とか、先行きの見えない不安感からか、お酒にのめりこんんでいきました、なので祖母の話にも耳を傾けていなかったと思います、


私たちも、震災直後は心配して何度も行きましたが、あんまり行かなくなっていました、、、


妹や義理の妹は「おじいさんはなかなか迎えに来てくれないな」とか、「指の動きが悪いから」「もう足がダメだ」と、、、言うのも聞いていたので自分が迷惑をかけたくない、と思ってもいたのだと思います。



いろんな要素が重なって、半分鬱みたいにもなっていたのかもしれません、



ここで皆さんにいろんな話をしてきました、


子供たちの病気や怪我、子供たちの反抗期、震災の実家の様子、、、

でも、祖母のことはここで何と書いていいのかわからず、

ここの更新も、滞り気味になりました、





フクシマフィフティーを見て、少し考えをまとめて、少し書いてみたい気持ちに、なぜかなりました、


コロナウィルスの影響で映画館もひとが少なかったですが、いろんな方に見てもらいたい映画です、

震災の時小さくて覚えていない今の高校生とかにもみて欲しい、そして忘れないように、、、


映画の最後に桜が咲いていました、


今年も桜が咲いて、わたしのみた桜を、、、


祖母の本当の気持ちはわからないけど、祖母のことも、震災の事も忘れないでいたい、、、と思って、、、


なんだかまとまらないし、何が言いたかったのか、になってしまいましたが、




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