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10年 [日記]

こんにちは、

本当にほったらかし、1年に1回ぐらいしか更新しないここですが、、、

あれから10年、で、何か残して忘れないように自分の記憶更新するために、、、


東日本大震災、2011年3月11日、から今日で10年になります。

今も大変な生活をしていたり大切な人をなくして心があの日のままの方も沢山いらっしゃると思います、、、

その方々の心が少しでも安らかになるように、、、祈っています。






私なりの10年を、、、


実家は茨城県常陸大宮市、、、

父母、祖母が住んでいました、

妹は水戸に一人暮らし、

弟は家族と那珂市に、、、



家や周りの道路が亀裂があって、余震も沢山あったので、市営住宅に少しの間避難しました、

父は家から離れたくなかったので、しばらくして家に帰って、家を自分で治したり、畑仕事をしたり、、、していましたが、、、


2015年に祖母が亡くなり、


2016年に母が亡くなり、


今は父と妹が実家に一緒に暮らしています、


妹は仕事で精神的に参って実家に戻っているので通院しながら、市の支援のある作業所に通っています、

父は震災の頃からお酒の量が増えて体調も崩して、畑も田んぼも出来なくなってしまって、、、

車の運転も何回かぶつけたりしたので弟と妹が辞めさせてくれました、


私はあんまり実家に行けないので弟と妹に感謝しています、





で、、、我が家は、、、


あの時中学を卒業したばかりだった長男は25歳になりました、

就職して7年、仕事の様子を見て残業して来たり、来週の仕事具合を見て休日出勤したりもする感じで、

コロナの前は入ってきた後輩を食事に誘って話をしたり、定年延長で残ってくれているおじさん達と飲みに誘われて出かけたり、趣味のネットで仲良くなった仲間と出かけたり、、、


で、私の実家に行くときには有休を取って運転して行ってくれたり、


父が妹の言うことを聞かない、と聞くと「ちょっと行ってくるよ」と一人で実家に行ってくれたりもします。








あの時中学1年生だった娘は、23歳になりました。

就職して5年、最初は事務職で、同期の子たちがみんな辞めてしまっても辞めずに頑張って今は検査に就いています、

コロナで去年は計画的に休業して週に3日ぐらいしか仕事が出来なかったり、

会社の移転の話が出ていたのに、わからなくなったり、

定年延長で残っていろいろ教えてくれていたおばさんんが退職してしまったり、

今は少し忙しくなってほとんど毎日残業して帰って来ます、

唯一楽しみのコミケやらイベントが中止になって、オフ会も出来ずにつまらなさそうです、

たまに、いろんなカフェの新しいドリンクやパンケーキが出ると一緒に行ってご馳走してくれます。








あの時小学2年生だった次男は18歳になりました。

高校は無事に卒業しましたが、、、

大学は紆余曲折、、、やりたいことがない、のに進路なんて決められない、、、と、、、

いろいろ迷って、、、志望校を決めた頃はみんなもう必死になっている頃でそれからでは間に合うはずもなく、

今年から始まった共通テストも難しくて、、、

コロナで今は普通に通えないで授業料は普通にかかるのにも納得行かなかったらしく、

(親は全部は払わないから自分で半分ぐらい奨学金を返すぐらいの気持ちで大学に行ってよ、って言っていたので)

どうせリモート授業なら通信で、、、と、通信の大学にしました、

多分、自分で全部やらなきゃいけないし、就活は大変だと思うし、卒業できない人も多いと聞くので、、、

まだまだ、先が大変そうです、

昨日から教習所に通い始めたので、、、今はバイトをしながら教習所に行っています、







私は体調の波が有ったりしてしんどい日も有りますが、、、

仕事に行く子ども2人のお弁当を作るのに6時に起きて、、、

お弁当作ってから少し寝たりもしますが、

お休みに少しだけ主人と出掛けて写真だけ撮って帰ってきたりしています、


その時の写真を、、、



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10年、、、いろいろ有るけど、まだまだ先があるので、、、

忘れないで、伝えて、思い出していきたいです。





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コメント 4

kyao

ご無沙汰しています。
はるさんの日記を拝見しながら、私も当時のことを思い出していました。
幸いにも、父の故郷である福島須賀川も、祖母の田舎の茨城常総市も大した被害はなく。
私の実家もプラモデルがいくつか全壊した(泣)程度で。誰も怪我をすることもなく。
当時は余震が1時間ごとに繰り返されたり。お米や生理用品がなくてあちこち走り回ったり。計画停電で午後になると電気が来なくなったり…本当に大変でした。
そのあと、常総市は大水に襲われたりと大変なことは続くのですが、それでも誰一人怪我もなく、それだけが唯一の救いでした。

はるさんのご家庭のように、お子さんたちがいらしたりすれば、なおのことこの10年は大変だったと思います。本当にご苦労様でした。

今までの10年。これからの10年。
被害に遭われた方々はまだまだ大変な思いをしながらの生活でしょう。私たちも当時の怖さや苦労を忘れずに、次に語り継いでいかなければいけないと思いました。長文、失礼しました。
by kyao (2021-03-13 07:20) 

はる

>kyaoさん、
ご無沙汰してます、有難うございます。
震災当時の記事を読み返してみたら忘れちゃってることが結構有って自分でびっくりでした、あんなにいろいろ思っていたのに出来事や思いも少し忘れている事に、、、
あれから何年って言われる事がちょっと違和感有ったのですが、何年、って言われるときに振り返って思い出して忘れてる人や知らない人に話したりするって大事かも、って思って、少し書きました。
みんなそれぞれ大変だったし、一生懸命だった事を、、、
by はる (2021-03-13 10:05) 

袋田の住職

10年たつといろいろなことがありますね。余震があったり、水害があったり、一日一日を大切に過ごしていきたいものです。
by 袋田の住職 (2021-03-14 13:52) 

じゅんぺい

我が家は本棚が倒れたくらいでたいした被害はありませんでしたが
それでも辛い思いで3.11を迎えました(特にテレビ番組が…)

お子さんたち、みんな大きくなったんですね!!!
…って、うちもそうですが!
なかなか、親の思うようにはならないということは
自分を振り返ればわかることなのですが…(苦笑)
他人に迷惑をかけず、よくご飯を食べて、寝て。
元気にしているのでまあいいかなと思うようにしています。
by じゅんぺい (2021-04-08 16:40) 

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